【コラム】ピエモンテと海、その意外なつながりとは?

山に囲まれたピエモンテと海の意外な縁、それは「塩漬けにしたカタクチイワシ」皆さまよくご存じのアンチョビ(イタリア語ではアッチューガ acciuga)です。このアンチョビの名を一躍有名にしたのは、カタクチイワシが水揚げされる海沿いの地方ではなく、バーニャ・カウダやヴィテッロ・トンナートといった、山に囲まれたピエモンテのお料理でした。

イタリアでは昔、塩は専売制(1974年まで)で、山で暮らすピエモンテの人々にとっては買わなければ手に入らない、かつ高価なもので、お隣のリグーリアや遠くはプロバンスなどのフランス南海岸の塩田から供給してもらわなければならなかったという背景があります。
そこで考え出されたのが、塩漬けしたカタクチイワシの樽にたっぷりと塩をまぎれこませてピエモンテまで持ち込むという裏技(平たく言えば「密輸」)です。

ピエモンテ州南部のリグーリア州と接している県、クーネオ県のタンド峠近くにある、かつてアンチョビ作りで知られた「ヴァッレ・マリア(Valle Maria)」地方では、山を超えた向こう側がリグーリアという地形を生かし、主にユダヤ系の人々が冬の間の収入源として、リグーリアの海で水揚げされたカタクチイワシを塩漬けにし、この何十キロもある鰯坪を牛やロバに引かせてピエモンテの山間部やポー河沿いの地方を行商して回ったそうです。その結果、塩はもちろんのこと、隠れ蓑となったアンチョビは海のないピエモンテ中に広まり、代表的な郷土食材となりました

そして、ピエモンテから山を越えてリグーリアに抜けるこの道は、いつしか「塩の道=Via del Sale」と呼ばれるようになり、さまざまな物資をピエモンテにもたらすとともに、逆にピエモンテ名産のブドウ『ネッビオーロ』を使ったバローロをはじめとするワイン、肉やチーズといった特産品はリグーリアを経由して南フランスまで運ばれるという物資流通の重要なルートになりました。このルートは現在「タンド線」と呼ばれ、今も人々の生活を支えています。

このようなつながりと歴史に思いを馳せながら海辺でいただいたピエモンテ料理はまた格別でした。今後も機会があればまた一風変わったイタリアの不思議な縁や歴史を掘り下げてみたいと思っています。

 

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